朝の連ドラといえば、月~土曜日、朝8時~8時15分までやるという、日本人なら一度は見た事があるNHK伝統のドラマ枠です。
こんな時間帯にドラマをやることなど他の局ではあまりないですし、15分を週6本、というすごい細切れな物語を昔は一年とか?今は半年、やりきるわけですから、作る側の人にとってみると大変な作業ではないかと思います。
15分で1話、と考えた時に、民放のテレビドラマでもCM挟むこと考えたらもっと細切れか?とも思いますが、なにせ15分に一回はオチや引っぱりみたいなものを最後に配置して終わらなければいけないと考えると、これはなかなか凄そうです。
さて、「純と愛」の特殊性について、私が思っていることをまず書きます。
NHKの朝の連ドラと大河ドラマというのは、往々にして民放で活躍している脚本家に頼み込んで招聘することが多いので、そこにスポットが当たることが多いですが、このドラマの脚本家、遊川和彦さんが招聘された時、遊川さんは「家政婦のミタ」で視聴率40%を叩き出した直後でした。
遊川さんの代表作といえば、「女王の教室」があります。
初回放送時、非難の電話が殺到したという伝説のドラマです。が、最後まで見た人はみんな涙し、向田邦子賞を獲りました。
遊川さんの印象は私にとって、武闘派、って感じの脚本家さんです。今、こんなことが出来る人はほぼいないと思うのですごく貴重だと思うのですが、使いどころというものがあるのも事実ではないかと思います。
「女王の教室」は全部見れてないのですが、「家政婦のミタ」は全部見ました。
家政婦のミタで驚いたシーンがあります。お母さんが子供4人残して死んでしまい、あまり家族に関わってこなかった父親と子供たちだけで家を回さなければいけなくなり、家政婦を呼ぶに至るのですが、割と中盤に差し掛かった4話とか5話とかそのへんだったと思うのですが、子供たちが、お母さんの集めていた家族の石(家族それぞれに見立てた河原の石)を見て、結束していこうと思い直し、父親に一番末の娘が「お父さんの石もこの箱の中に入れて?」とせがみます。
私はてっきり、父親はひざまずいて娘を抱きしめ、ああ、これからは家族一緒だ…!とか言うのかなーと思っていたら、「お父さんはこの箱に石を入れられない。そんな自信ない」といって拒否して、家を出ていってしまいます。
想像もしていなかった展開に唖然としました。えっ、小さな子供がせがんだらふつーは飲むのが定石でしょ!?でもリアルなところ、実際子供っぽい大人が今多い(自分含め)中で、まあ子供を放棄して家を出るってとこまで極端かはわかりませんが、大人になることを詰め寄られた(しかも子供から)時、よし、つって腹をくくれるものなのか…と考えてしまうと、逃げたくなる気持ちもわからなくはないのかなーと思ったりしました。
結局、ばらばらだった家族が一つにまとまり再生していき、涙の最終回を迎えるわけですが、そのとき、あの逃げてたお父さんがねえええ…!!!って泣いてる自分がいるわけです。前フリがあってこそ涙の量も増える。まあそういう仕掛けなのかなと思ったりもしました。
「純と愛」が始まってすぐに、NHKで遊川さんのドキュメントみたいのがやったみたいで、私は見ていないのではっきりしたことは言えないのですが、どうやら「えっ脚本家って普通あんなに演出のこととか口出すの?」っていうくらいだったようで。クランクアップした時の主演の夏菜さんと遊川さんの会話の中にも「遊川さんの演技のダメ出しに毎日泣いてた」みたいなこともあったりして、それって脚本家の常態ではないですよね?
これって、はっきりしたことは分からないですが、やはり視聴率40%という数値の甘い匂いにつられて、いつもと同じ事してちゃだめだと考える最近のNHKが、起爆剤にっていう期待とともに、遊川さんに断られまくってもゼヒゼヒって招聘したので、その時に演出に口を出すことが条件だった、あるいはそうでなくても現場で口を出されても文句の言えない状態だったというのは想像に難くないです。
それが良く作用したのか悪く作用したのか、もう終わってしまった今はわかりませんが、どちらか、あるいは両方に強く作用しただろうなとは思うのです。
私が「純と愛」をそんなに嫌わない理由は、私の身の上と近い部分を登場人物に感じて感情移入したからです。誰のどこ、とは具体的に書きませんが、そういう一片があれば割と持続して見ていられるドラマではありました。ただ、これだけは書いておかなければと思うのですが、遊川さんのドラマが気持ち的に受け入れられる時間帯は、21時以降です。私はだいたい、一週間録り貯めて一気に見ていたので、週末の夜に食事しながら、お酒を飲みながら1時間半くらい見る、という感じです。これですら、心が折れかけるような展開があったのに、朝の8時にこれ見て会社に行くのは辛いです。この時間帯、テレビのチャンネルをNHKに変えるのがもう何十年ものクセ、というご家庭で、食卓を囲んで、キスシーンや、喧嘩や、人の生死を見てるのは辛いと思います。
ただ、これは遊川さんなりの戦略だったんだと思います。功を奏してないけど戦略だった。視聴率が大事なのか伝統ある朝の連ドラをぶち壊すのが大事なのか、受け取り手によって違うでしょうが、視聴率もぱっとせず、ドラマとしても首をかしげられている状態だと、なんだかやっぱり作戦失敗感が漂いますが…。
遊川さんはたぶん、朝の連ドラの欺瞞をぶっ飛ばしたかったんでしょう。「純と愛」に込められた3つくらいあるメッセージのひとつだと思います。直前なので比較しやすいですが「梅ちゃん先生」は、実に朝の連ドラらしい『欺瞞』に満ちていたと思います。この『欺瞞』を、私は否定しません。NHKを朝見ている人たちが何を求めているのか。その温度とか、前向きなメッセージとか、大事じゃないですか。嘘でもいいから上を向いて歩きたいのが朝なんですよ。
ただ一方、必ず女性の主人公、必ず結婚する、必ず職を持つ、たいがいは子を産む、必ず老いて成功し高度成長期は良かったわねウフフと懐古する。こんなもの欺瞞以外の何者でもないじゃないか、という気持ちもあります。自分が女っつうのもありますが、はっはーん自立した女性の姿を描く、みたいなことで、戦後からこっちの社会進出がままならない女性の鬱憤晴らしにでも一役買ってたわけですか!?と穿って見てしまう気持ちもあります。
そういう見方をした時の「純と愛」のぶっとばしぶりはハンパないです。
たぶん最初に提示されるであろう「地域を限定する、女性が主人公で、職を持ち、結婚する」という条件はクリアしつつ今までの伝統をぶち壊した、好かれない主人公、かっこよくない主人公の旦那役、旦那が専業主夫、愛のない両親、自分勝手なきょうだい、続かない仕事、祝福されない結婚式、子供は作らない、強い女性像、弱い男性像。オカマの登場人物から提示されドラマ内で何度もくりかえし言われる「女性が諦めたら、世界は終わり」という言葉。マッチョイズムの対局にある、清々しいほどの女性讃歌。本来の朝の連ドラの趣旨に『欺瞞』がないのだとしたら、現代ならこれくらいが当然なのかもしれません。
私はこの女性の描かれ方をかなり楽しく思いました、が…。この時間帯、このドラマを見ている女性のある一定量は確実に、男性より強い女性ははしたない、みっともないと教えられ信じている女性でしょう。そういう人には、梅ちゃん先生くらいの自立がちょうどいい。純と愛の世界観は、自分とあまりにかけ離れていて(あるいは似すぎていて)理解できず不愉快になる人もいたのではないでしょうか。純と愛の評価をネットで見ると、ちょっと激烈な感じの感情論だったりするのがあるのは、生理的に不愉快な場所を突いてくるからなんじゃないかと思います。
やっと内容の話です。
純という主人公であるヒロインのキャラクターは、初回からあえて受け入れ難いKYキャラであったと思います。視聴者が一様に「うわっ!こんな新人入ってきたらウザいわー!」ってなる主人公でした。夏菜さんも言動が理解出来ないといって最初は揉めたというようなことを言ってました。なのに、周囲の登場人物はみんな「あなたはそのままでいい」と彼女に言って聞かせるのです。いやいやだめだろ!成長しろよ!!と初回から思っていたのですが。
結果、最終回の純は、ものすごく成長していました。ちょっと遊川さんの言う「そのまま」の意味がわからないのですがw、志をつらぬけという意味だったのかなぁという感じです。
私は、この「純と愛」というドラマは、震災後の日本を生き抜く「残った者たち」の指針を描いたドラマだと思っています。
思いもよらない酷い事が人生には起きて、本当に心が折れそうになることもあるけれど、でも私たちは生きていかなればならない。繰り返し繰り返しそのテーマが、いろんな人の口を借りて語られていました。
ジェットコースタードラマって言われていましたが、その不幸を純は全部受け止めて、なおかつしっかりと大地に立ち、愛する人を失っても私は前を向いて生きて行くという大演説をぶつ最終回は、うーんまさにそういうことなのかなあと思ったりもしました。
ぶっちゃけ、細かいつじつまのおかしなところを指摘されがちなのは、テーマがずいぶんとわかりづらいことと、15分で細切れにされるのでとんちんかんな出来事の印象をずっと引きずっていくからのような気もします。「純に不幸を降り掛からせよう」というイジワル心のほうが強いのか、なんで沖縄で何年も立ってた家が雨戸締めてたのにガラス割れて泥だらけになるんだとかそういう、は?ていう感じが細かく数多く起こるのがなんとも…。
実はこのドラマ、ほぼ割とリアルタイムな感じで物事が進行していて、9月のスタート時が就職活動最後の2月とかで、4月に就職し、物語が進行、最後がちょっと飛んで、6月か7月くらいのイメージで終わってると思うんですが、1年ちょっとしか経っていないんです。ネタバレしますが、純に降り掛かった出来事はこんな感じです。
・就職面接時に、変質者のような愛(後の夫)に出会う
ホテルオオサキに就職、ポーターになる(事件をたっぷり起こす)
純の兄、ホステスを孕ませ別れてくれと家族総出でせがむ
↓
・愛と交際スタート。わりとすぐに結婚する。
ホテルオオサキで配置換え、結婚式のコーディネーターになる(事件をry)
ストーカーの被害に合ったりする
↓
・ホテルオオサキが外資に乗っ取られる。純は奮闘、善戦するが敗北。
能力主義の殺伐としたホテルになる
↓
・奄美大島の祖父のホテルを、父親が売却しようと画策
阻止する為にオオサキを辞め、奄美へ。
純の兄、元の彼女と結婚する。
純は奮闘、善戦するが敗北。ホテルは解体される。
↓
・鬱になる純。浮気しかかる愛。離婚の危機
(作中一度しか描かれないクリスマス&年越し)
奄美から大阪へ出てきた純の父親は仕事に慣れず内緒で退職
土地が変わった母に痴呆症の兆候
↓
・純、ドヤ街の宿泊所のような宿に就職
兄嫁、子連れで自殺しかかる
母の痴呆が表面化
↓
・宿を閉めるという女将を説得し奮闘
予約でいっぱいになる、カフェ代わりになるような宿へ
父親、母親を助けて死亡
↓
・宿に来ていた客を結びつけようと画策
功を奏すも無理が祟りあれこれあって出火、宿全焼
心が折れた純は違う仕事を探し、愛と離婚危機
↓
・宿の客の計らいで奄美大島でホテルを開業することに
オープン準備中に愛が脳腫瘍に
↓
・そして伝説へ…
私はこのドラマを見ている最中ずっと考えていたのですが、純に起こる幸不幸って、花札みたいだなって。
純とおおいなる何かが花札やってるわけです。
純は細かく、青短1枚とか、赤短2枚とか、カスとか集めてるんですよ。
終盤にくると、時々10点の絵札とか、時には赤短揃ったりするわけです。
わーい!って大喜びする。
が、はい清算しましょうってなると、相手が坊主に盃に桜の20点札ずらっと持ってて花見で一杯の役が決まってるとか、雨ゾロとかもいつのまにか揃ってて、純は大借金してるんです。そのくりかえし。小さく手数多くがんばって集めた純の幸せなんて、何十倍もの不幸に一気に押し流される感じです。
具体的に上げるとすると、ドヤ街の宿屋に就職した時の純は、鬱から抜けたばかりで仕事もなく何も残っていませんでした。そこから、心を閉ざした同僚や宿泊客と努力の果てに少しずつ打ち解けていき、みんなに頼られる中心的存在になります。そこから、宿を自分の念願であった「まほうのくに」にするために問題点を考え、改善し、集客に成功します。
ここまでが、5点札や10点札を細々集めた状況です。
集客に成功した純の幸せな姿が一週間近く続くと、もう私(視聴者)は不安になるわけです。
だってこのドラマで、幸せが持続することなどないんですもの。収まるところに収まりよく全てのものが快適に動き出した時、それはこのドラマでは、破滅の足音なんです…
さて集客に成功し、たくさんの人が通ってくれるようになると、もうひとつなにか宿に足りないものがあるんじゃないかと純と愛は話し出します。そして、結婚式とか出来たらいいねーと言います。おあつらえ向きに、お互いを意識している男性と女性のお客さんが。これはいい、とけしかけて、交際→結婚に至ります。
タバコを吸う事を花嫁が秘密にしていたり、花婿に介護が必要な父親がいるなど、何故か不穏な描写が続くので、もうこのジェットコースターに慣れてしまった私など、ただ青い顔をして見ているだけです。花嫁が、結婚式当日に純に結婚をやめたいと漏らすのですがそのまま式は実行され、実はアルコール中毒だった花嫁が深酒し、これから私は知らない親父の介護をずっっとするんだから飲ませろぉと叫ぶに至ります。当然、結婚は白紙。花嫁を宿に寝させてやる純でしたが、自暴自棄になった花嫁の寝たばこのおかげで、宿が全焼します。
はい、ここで猪鹿蝶決まったー!てなもんですよ。
確かに、宿にもっと何か売りがほしいだなんて、欲をかいたといえばそうでしょう。だけどブライダル部門で働いてた純がそれを活かしたくなるのは当然だし、こんなカップルじゃなければこうはならなかったはず。純にそこまで落ち度があったようには思えません。
なのに理不尽に降り掛かる不幸は、純がこつこつ集めた幸せの何十倍です。
結局、このドラマはこの理不尽を飲み込み続ける話なんだと思います。
だから、最後に愛が脳腫瘍になり、目が覚めない(ように見える)のも受け入れないといけないんでしょう。ネットでドラマの感想を書いているものを見ても「なんで最後の目が覚めないんだ、あそこで目が覚めてハッピーエンドでいいじゃないか!」というのがあったのですが、たぶんそれではこれだけの鬼っぷりで不幸と理不尽を叩き込んできた純(たぶん震災後の日本人である視聴者の身代わり)へ伝えたいことは完成しないんだと思います。
それでも生きている人は生きて行かなければならないんだ、という辛い現実から目をそらすなと。たぶんそういうことなんでしょうね。
個人的な感覚として、そういうのは頭で分かったとしても、例えば純が精魂込めて完成させた宿屋が全焼したり、小さい頃から愛していて自分の人生の目標だったホテルが取り壊されたりした時、へこたれるのを周りの一人として許してくれないのは辛かったです。
一番近くにいる愛ですら、純がへこたれるのを一切許さない。さあ立って!夢の実現のために次に行きましょう!果敢に立ち向かいなさい!って言われ続けるのは、がんばれがんばれ!って鬱の人に応援してるみたいなもんじゃないですか。がんばれ、とセリフではもちろん出てきませんが。あれは辛いなあと思います。私だったら、ちょっと待って、少しだけ休ませて…と思うだろうなと。一番身近な人にくらい、許してほしいじゃないですかそういうの。
ここまで来てとうとう書きますが。
あのー…愛の超能力の件ですけど。なんか終わってみたら超絶どうでもよかったなーと思うんですけどね。結局ほぼその設定のおとしまえはつけないで終わりましたね。
愛には、人の真の顔が見えるっていう設定があって、NHKすごいなー朝ドラにSFぶっこんで来たかー!と思ったんですが、冒頭こそかなり重い問題として取り上げていましたが、純が受け入れたあたりから、まあとりあえず便利なサーチ能力くらいの扱いになり、最後はなぜそれが治ったのかよくわからない(心が満たされてきたから、みたいな説明はぼんやりあったにせよ)状態で終わりましたね。ていうか、あれだけの大ネタなのに、そんなふんわり終わらせていいもんでしょうか!?途中からストーリーの趣旨が変化したのかな〜?と思わされるほどです。
細かいご都合主義も、なんかいちいち取り上げるのも面倒なほどです。大阪・宮古島間の飛行機代とか移動時間とかかなり初期から雑でしたし、純が宮古島に小学校くらいから高校までいた人だと感じない『観光客感』だったり、大事なアイテムとしてジュークボックスが出てきますが、あれが失われて戻って来るに至るもろもろが全部ちょっとありえないとか(おばあの店は言えばなんでも出て来る、のはミタさんオマージュだとしても)、上げたらきりがないです。
そういうラッキーはどっちにしろ5点札。5枚集まっても25点です。あっちときたら、20点札が5枚揃ってるんですから。
役者さんは総じて全員素晴らしかったです。
夏菜さんも、風間君も素晴らしかったし、痴呆症になっていく森下愛子さんの演技は怖いくらいでした。元々大好きな若村麻由美さんの、往年のキリッと怖くてかっこいいお母さん最高でした!武田鉄矢さんは昨今、悪役やるとハマるなーと思いました。
兄のもこみちの妻を演じてた高橋メアリージュンさんの今後の活躍を期待してます!
役者さんは褒められて、脚本に苦情が集中するあたり、ある意味遊川さんの目的は達してるんじゃないかなと思ったりもします。
うーんなんつうかこういう…、もともと底意地の悪い人に「あなた意地悪ですね!」って言っても、してやったりの顔される感じの無力感っていうのかな…www
うーん…
あっ、今週から始まった「あまちゃん」、クドカン脚本だし、超楽しいみたいですよ!
揺り戻しって感じで、みんなハッピーな感じしてます!
もう半年がんばって見ます!wwww
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