フヒーなんか鳥祭りの終了を待っていたかのように忙しくなり、そして忘れていた仕事を急かされて焦って夜中までやったり、手首に激痛が走ったり、なんやかんやで思うように行動(おもにお絵描き)出来なくて参ってます。
みんなもう!!ほっといてくれよ!!
とりあえず、なんか貼っておこうと思って、愛鳥週間にティバーンを描いていて、考えたら人物サイズ揃えたほうがいいなと自分で思い至り、ペン入れ?までした絵を捨てようか捨てまいか迷っていたんですが、肌の色だけ塗ってここに再利用。肌の色塗るの楽しくて好きです。

さて、同僚から「終の住処」という、芥川賞を獲った小説について、「よくわかんないから脱兎さん読んでみて!」と渡されたので、だだっと読んでみたのですが。
これを考えるにあたり、思うところがあったので、折りたたんで後半に。
拍手&コメントありがとうございます!気づくと過去記事に拍手なども、ありがとうございます!!
・すしえさん、コメントありがとうございました、お返事が遅くなって申し訳ありません!そうですか、鳥居スキーなんですか~!だとすると伏見稲荷は垂涎の場所ですね!!ちょっとどうかしてる量ですし!私は鳥居というと、行動範囲内にある靖国神社の、入り口の鳥居が毎度毎度、見るたびに「デカッ!」と発してしまいます。あの独特のおごそかな感じとか、いいですよねー…そのレポート読みたいです!!京都はそうか、盆地か…暑いんですね…。割と気候的にはじゃあいい時期に行けたのかもしれませんね!わりとどこも空いてましたし!
・やすねさん、コメントありがとうございます!やすねさんにもお返事遅くなってしまってすみませんでした!いちいちブログまで読んでいただいてすみません~、基本的には毎日くらい更新したい気持ちでいるんですけど、大量投下したり急に手がつけられなくなったり波ができちゃって。いやーほんとに愛鳥週間は大変楽しい毎日で、ほんとお疲れ様でした!みんなに愛があるからほんとに楽しくてこまっちゃいますね!あ、私も中村佑介さんの画集、買おう買おうと思ってるんですけど結局買えずに今に至ってます…。やすねさん、中村さん好きそうなのなんか分かる!アニメのOP、いいでしょう!!かっこいいですよね!ほんとに絵と音楽と物語が一体になってしかもアニメになっているって凄いですよ!広島でやってないですとおおお!!!な、なんということだ…!!なんかようつべにちょくちょくあがっているようなので、見てみてくだされ…(泣)おお、絶対零度ですか、あれなかなか面白いですよね。毎度見れてないんですが、初回を見た時に面白いなと思った設定が、ベテランのおじいさん刑事が、パソコン駆使して「今やこれが聞き込み捜査だよ」みたいに言ってたところです。あの設定はいいなぁ。ステレオタイプにベテラン刑事はパソコンわかんないキャラとかじゃないのは素晴らしいです!ただ、宮迫は何を見ても宮迫なので、ちょっとイラッとする(笑)やすねさんのブログもstkしてます楽しみにしてます!パーカーネフェニーに色塗りしたくなりました!!ありがとうございました!!
・こはさん、コメントありがとうございます!京都お好きなんでしたね!写真喜んでいただけてよかったです。五月の納涼床は寒いんですか!!夏は暑いそうですし、ほんと逆にちょうど良かったのかも知れません!ぜひ大好きな京都で充電して来て下さいね!ありがとうございました!
では、以下、芥川賞受賞作の話など。
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それでは、「終の住処」という本を読んで我が身を振り返った話。
この小説がどんな小説か。どんな、というのをどこに据えるかによって印象が随分違う本だなと思いました。
ストーリーを追うだけだと、信じられないくらい退屈な小説です。
起承転結というものがほとんどない、なんというか、一人の男の30過ぎから50くらいまでの暮らしを追っただけのモノローグで、主人公がただただ自分の内面だけを語るっていう、内容のない感じの話なんです。
が、この小説が芥川賞を獲った部分がどこであるかを考えた場合、ポイントはストーリーではなくて、その描写というか、表現なんではないかと。
例えば、一人娘が楽しげに霜柱を踏む、っていうシーンの場合、
地面からは笛のような、ソプラノの歌手のような小さな音が上がった。
「どう?」という大人びた表情で娘は彼を見て笑い、それから妻を振り向いて笑った。
彼と妻も頷き、笑顔を返してやった。気を良くした子供はもう一度、
靴のかかとで霜柱を踏んでみた。やはり同じ音がした。満足した娘は、今日この場所で
自分がやるべき仕事はすべて終えたような顔をして、誇らしげに両親の膝もとに戻ってくるのだ。ま、なんかこう、詳細じゃないですか。仕草を全部説明して、言葉を選んで表現してる感じ。
これを美しいと思うか、キザと思うかでもう随分印象は違うだろうなと思うんですが。
同僚は、これをキザと感じたようで、さらにストーリーにもなんの展開もないので、「何が面白いかわからない」っていうことなんだろうと思うんですが、私は文字が人の感情を端的にだけ表したものは小説としては面白みに欠けると思ってしまうタチなので、こんなんもアリなんじゃないの、とは思いました。
ただ、作者がかなり巧妙に練り上げて作ってる感じはするので、そこが透けて嫌味だなあって感じるのはわかるかな。
ちなみに、賞の総評みたいのを読んだら、村上龍かなんかは、その技巧に走りすぎてて透けてる感じがヤダ、って言ってました。褒めてる人はそこを褒めてるし、難しいとこではある気がしますけど。
評価で、選考員のどなたかが言っていた、「自分の過去の記憶を思い返して書くと誰でもこんな感じになるんじゃないか」というのがすごくしっくりきて、というのも、この男は基本的に浮気性なんですけど、ある女と電車で出会い、そのサングラスをかけた顔を見ているうちにこの女は俺の完璧な理想型だ、と思い至り、そのまま下車駅を通り過ぎて終点の駅まで行ってしまってそこで女についていったら女の家に招き入れられて泊まってしまう、っていうシーンがあるんですけど、同僚も「んなわけあるかい!!」って言うんですよ。私もそんなわけないと思うんですが、これたぶん、この男はずっと彼女のことを電車で口説いてるんだと思うんですよ、本当は。でも、自分の昔の記憶の中のことって、そのときした細かな会話って覚えて無くて、覚えてるのはその時の相手の顔のほくろだったり、洋服のボタンが取れかけてるなあとか、そんなことだったりするじゃないですか。たぶん作者は意図的に、詳細な会話を削って、そのとき受けた印象みたいなことだけを書いてるんだと思うんです。この技巧をキザと取るか、うまいと取るかって感じですよね。同僚は結構、この説には納得してたみたいですが。
そこでふと、桃太郎という物語のことを考えたんですけど、桃太郎が桃から生まれて、育ってお供を連れて、鬼ヶ島に鬼退治に行くっていうあらすじはよく出来てて面白いですけど、そこに詳細な印象を書き加えていったら、それはまたそれで面白い小説じゃないかと思ったんです。「その桃は、桃色というよりもやや白く、産毛がきらきらと輝いていた。老夫婦の夫であるその老人が、鈍く光る包丁の刃を桃の頭頂部に当てた時、老婆は閃光に撃たれたようにこう思ったのである、ああ、何か変わるような気がする、それがいい事なのか悪いことなのかは分からないが、今までの山から枝を拾いにゆく夫を見送ってから自分は川へ向かい、そこで切れるような水の冷たさに慣れてしまった自分の手を川に浸して、夫のふんどしを洗う毎日は確実に今、この瞬間から変化してしまうのだ、そう思うと何故かひどく恐ろしく感じ、老婆は夫の手を止めようとした、その瞬間に包丁は音もなくその大きな桃の皮の内側へと滑り込んでいった。」みたいなことですよね。私こんな小説も結構面白いんじゃないかと思ったりするわけですよ。
で、思ったのは、私が今、FEの漫画を描いたりすることもこれに似てるなっていう。FEという大きな物語があって、そこではいろんな出来事が起こるんですけど、それを現実感をもってとらえようとすると、そこには毎日の営みとかあるわけじゃないですか。恋愛感情が生まれることも、いがみ合うこともあったりして、そこに戦いがあって、っていう。FEという物語の別の詳細な印象を、私は描きたいなと思っていつも描いてるのかもしれないなと思い至りました。
なので、まあ芥川賞作品と同列に己を語るとはどんなお調子乗りだとは思うんですけど、この小説を印象だけの小説なんか面白くねえよ、って言われちゃうと、ちょっと私は反抗したいなあって思ったりしたんです。
そんな話でした。そんなだけのことを、またながながと書いてしまいました。あーあ…。
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