あ!!拍手いただいてありがとうございます!!
まだブログ不慣れなもので、拍手とかどんな具合か分かっていないのですが、
送っていただけて凄く嬉しいです!ありがとうございます!
手ブロの方からしかリンクしていないので、あちらから見ていただけてるのかな~?
ありがとうございます!
さて今日は先程ぼんやり考えていた件を。
最近『殺人の追憶』という韓国映画を見ました。
今年見た映画の中では、ポン・ジュノ監督の『母なる証明』という映画が、感情を揺さぶられたという意味で一番好きだったかもしれないのですが(インモラルな内容の映画なので人にあまりお薦めは出来ません、友人はあれは乗れなかったと言っていたし)、その同監督の出世作と言われている、韓国の未解決猟奇連続殺人を題材にした映画です。
主人公は田舎の刑事で、80年代の韓国の警察というのは、汚職やでっちあげが当たり前として市民に認識されていたようで、そんな中でも「ある一定の信念」の元に犯罪者と対峙してきた主人公が、あまりに想像とかけ離れた、一般市民の顔のままに凶悪な犯罪を犯すものと出会った瞬間、自分の思っていたものがガラガラと崩れさり、こうつぶやきます。
「俺にはもう、なにもわからない」

信じて来たものが崩れさる瞬間の人間というものに興味があります、ってこないだも書いたっけ?
そこで考えていたのが、狂信的になる人々の事。ふと、ミカヤと暁の団との関係というのはどういうものだったのか、ゲームの内容を真実でない正史と捉えて考えてみました。歴史は後世の者が作るものですからね、フッフッフッ…
(以下、暁のネタバレ含む。)
[0回]
やっぱりミカヤのモデルって、ジャンヌ・ダルクですよね。
なんらかの神の技のようなものを持ったか弱い女性が、彼女を信じる男たちを率いて出兵して、国のピンチを救うわけですからね。そして救ってあげたはずの王から虐げられて最後には裏切られるという展開も同じ。
ただ、暁は最後に「そんなん世界がやべえからどーでもいい!」というちゃぶ台返しが待っているから悲劇にならなかったようなものの、あれが無かったら、ミカヤは絶対倒されてると思うわけですよ。
そうなると…暁の団てどうなんだろうなあ…。ミカヤが本当は身分のある凄い人でした!という事になったのだってあれ、4章あったからわかったわけで、あのまんまアイクにもし倒されてたら、ミカヤっていうのは民衆を惑わした魔女で、悪者ですよね。最後まで従って一緒に火あぶりに掛けられるとこまで行けるのはサザだけかなあ。
案外一番に洗脳?が解けてしまうのはエディとかかもしれない。レオもそしたらミカヤから離れるだろうし、ノイスも最後までは無理なんじゃないかなあ。
エディがミカヤから離れようと思う瞬間とか想像するとぞわぞわします。
故郷のためにと思って戦ってきたけど、自分のよりどころは正しいのか?ある瞬間は確実に正しかったといえるけど、今は正しいのだろうか?自分はペレアスの戴冠式の瞬間の、あの誇らしい気持ちがあまりに眩しすぎて目がくらみ、やっと今、視力が戻ってきたんじゃないのか?そう思って見るミカヤの顔と自分の顔は、同じ色をしていない…
…うわ~、4章が無かったらと考えたら怖すぎる!!!あ、あって良かった…。
っていうかまあ、暁のゲームとしてのいびつさ(敵と味方の両軍をやらされたり、巨悪が最後あたりまで来ないと定まらない感じ)って、このジャンヌダルク風味を醸すために起きちゃってるのかもしれないですけどね。そこやりたかったのかなあ。で、4章のちゃぶ台返しってなんかすごい力技だな。
先のエディの感じを思い出すと、チビノリダー?電車男?こと伊藤淳史さん主演の『独立少年合唱団』という邦画を思い出します。若い年頃の、あの何かに狂信的になれる感じ、というか狂信的になりたい感じ?がすごく出てて私は結構凄い映画だと思ってるんですがウィキペディアに無いくらいマイナーすな~…。あ、ちなみに学生運動の頃の全寮制の学校の話です。
何を年の瀬に長々書いてるんだかっていうかんじですが。
年内もう一回くらい更新したいです!
ちなみに今日仕事納めです★明日は昼間暇そうなので、陰陽師の新刊を喫茶店で読んできます!
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