では、以後、まったくネタバレのことを気にせずに好きなだけ書き散らしますのでよろしくお願いします。
ブレイブリーデフォルト(BD)というタイトルに、フライングフェアリー(FF)というサブタイトルがついているというところがFFを冠するタイトルのゲームをフォローし続けているプレイヤーに対しての呼び水である上に、その後サブタイトルが変化する(後述)事から、そのFFからの脱却を表しているのではないかと思ったりもします。考え過ぎである可能性も大ですが。
タイトルである「ブレイブリーデフォルト」とは、ゲーム中の特徴的な戦闘システムのコマンドのことです。「たたかう」「にげる」「どうぐ」のようなコマンドの中に「ブレイブ」と「デフォルト」があります。
このシステムは、やってみるとすんなり直感的に理解できるのですが、戦闘の1ターン中で「防御して行動を1ターン休み、ブレイブポイントを貯める」が『デフォルト』、ブレイブポイントは一定量貯めることが出来、「貯めたブレイブポイントを放出することで1ターン中に複数回行動する」のが『ブレイブ』です。
このタイトルで、すでにブラウザゲームやアップデート版、続編が作られています。
クリスタルやジョブや召喚獣という「システム」を中心に、全く違った世界観だったり、あるいは正当な続編であったり、一部を継承したりして展開してきたファイナルファンタジーシリーズと同じく、BDをこれからジャンルのようにして育てていこうと作り手は考えて動いているような気がします。作るのが容易なシステムに組み替えた、FFに匹敵する「ブランド」を作ってるのかもしれません。実際、進化の著しいゲーム業界で、これって合理的というか、これからの正しい姿だと思います。FFは、途中から最新技術のビジュアルでもってブランドとしてきたのが仇となって、制作コストがかかりすぎるようになって爆発的に売れないと元が取れないわけですから、効率悪いと思うんですよね。
BDは実は最初に「ファイナルファンタジー外伝」というDS版のゲームがあって、そこで評判の良かった部分、悪かった部分を調べて反映しているという経緯があります。FF外伝は、スタッフがまるっと一緒ということはもちろんのこと、吉田画伯が絵を描かれていたので私は信者としてちゃんとプレイしましたが、面白いんだけどボリュームが少ないなー、もっとあれこれできたらいいのにな、と思っていたのですが、それがBDでまるっと改良されていて、進化していたので驚きました。
この、「プレイヤーの声を聞いて改良版を作る」というスタイルも新しいなあと思います。先日発売になった、「ブレイブリーデフォルト フォーザ・シークウェル」という3DSのソフトは、内容は概ねBDと一緒ですが、強すぎる攻撃や弱すぎた防御、便利すぎたスキルなんかが改変されて、よりバランスのいいゲームになっている、らしいです。
ほしいんですが、完全にやりこみ系の人のためにあるような感じなので(データを一部引き継げたり、イベントも増量しているのでちょっと知りたい気もしますが)、とりあえず時間もないので、完全続編に備える方向で買い控えておるのですが。こういう、ちょっとしたアップデート版を出すという感じが、すごく今っぽいなと思うのです。古い人間なのでこういうやり方に諸手をあげて賛成するわけじゃないんですが、売りっぱなしでなくソフト自体が成長していくのは悪いことじゃないんじゃないかな、とも思うんです。
さて、長い前置きになりましたが、内容の件です。
往年のFFのファンである人たちは、ある種の共通認識を持ってFFと名のつくゲームに向かいます。例えば、これは全てのRPGに言えることですが、自分が世界を救う救世主である、とか。
破滅に向かいつつある世界を、仲間と共に立ち向かい救うとか、そういうことです。
もう少しFFファン的に細かいところで言えば、クリスタルは4つあって、強大な力を持ち、大概は隠されていたり主人公がやってくるのを待っていたりする、なんていうのも。
更に言えば、出会った仲間は絶対に仲間で、裏切ったりすることはないとか。
BDは、実にそれを序盤、厳格に守ってみせます。
だから、往年のプレイヤーほどすんなりと、しかも余計な先入観込みで物語をプレイし始めます。これがタチが悪いw
一旦その「先入観」についてのことは置いておいて、割と地味に感動した、『ボーイミーツガール』について書こうと思います。
物語は、主人公がヒロインと、あるいは主人公がナイトと出会うシーンでいろいろ決まってしまうといっても過言じゃないと思っています。
変な例かもしれませんが、「ドライヴ」という映画で、主人公であるドライバー(名前はなく、職業)が、初めて隣人の女性と出会った瞬間。同じエレベーターに乗り合わせた彼らが、ただふっと数秒見つめあう。その瞬間彼は恋に落ち、運命をかけて彼女を守ることを決めてしまう、というような。
主人公は4人いますが、基本的にはティズという、単なる羊飼いのような凡庸な若者(以後いろいろあるとはいえ最初の段階ではという意味で)が、一番プレイヤーが自己投影しやすい主人公といえます。
しかしティズは、冒頭に、暮らしていた村を天変地異の大穴の出現によって失ってしまいます。その際、目の前で落ちて行く弟を助けることができず、村の唯一の生き残りとなり、近隣の王国に保護されています。
ティズはまず王様に「大穴をもう一度見てきたい」と言って、魔物が出る道を一人で戻ると言い出すところに、プレイヤーはティズの一抹の期待と、深い自責の念と、決意を思います。
そしてたどり着いた大穴は、何か残っているかもしれない、というような甘い考えが吹き飛ぶような絶望的な穴で、ティズ(であるところのプレイヤー)は、受け入れ難い現実と向き合わされます。
そこで、ティズはヒロインであるクリスタルの巫女アニエスと出会います。アニエスもはっきりとその大穴に対してショックを受けていて、二人はその瞬間、同じ気持ちを共有します。(プレイヤーはうっすらアニエスに何があったかはわかっているので、より一層。)
別に細かく描かれるわけではないその二人の、支え合って行かざるを得ない共有感が、ここから転がり出す物語にとっての、ラピュタのパズーとシータのような固い結束感を生んでいると思うんですよねー。ここ何年かでやったゲームの中でもとびきり良い「ボーイミーツガール」でしたね!最近のゲームはほんとに、プレイヤーそっちのけのどうでもいい理由付けのまま話が進むのが多すぎて、全然乗り切れないんですよ。私が!能動的に!世界を!救ったり!ヒロインを!助けて!あげたいの!!っていう。この「当事者感」ってすごく大事だと思うんですよ。
その後、2人の仲間が現れます。
1人はリングアベルという、女好きの軽いタイプで、記憶喪失です。本来、記憶喪失というキャラクターはトリックスターで、必ず後で当初の印象とは真逆に来るであろうことは想定できるのですが。ただ当初仲間にしてみると、素朴くん(ティズ)と生真面目さん(アニエス)に軽薄キャラの彼が投入されるととても微笑ましい会話をするので、ゲーム自体が楽しくなります。ちなみに、このゲームは物語の途中でパーティー内での会話イベントが挟まれることがあり、それがいちいちすごくすごくすごく楽しい!のです。全く物語とは関係のないところで、名物料理を食べたり、着るものに悩んだり、ボケたりツッコんだり。その温度がまたちょうどいいというか、ドラクエ4のリメイクの時にちょっと仲間と会話できたりして嬉しかった、あれがすごく進化した形というか、人物への理解度の掘り下げにも役立っていていいシステムだなと思いました。
もう一人最後に合流するのが、イデアという女の子です。これは、敵側とされるアンチクリスタル(クリスタルへの崇拝を排除する考え方!往年のFFファンからすれば、なんという罰当たりな!)を掲げるエタルニア公国の元帥の一人娘で、そもそも彼女もクリスタルを排斥する考え方の元で育ち、アニエスを捕らえるために初の任務に出たのですが、初仕事の上司がクソで離反、結局ティズたちと行動を共にすることになります。ちなみに、イデアは無鉄砲で元気キャラです。背景のせいか、うるさくなりそうなキャラクターですが愛せます(私は)。
イデアは、この物語の実に核をなす考え方を持っていて、冒頭はとにかく「白か、黒か」が彼女にとって大切で、自分にとって白なのか黒なのか、正義なのか悪なのかを見極めて回りたくて仕方が無いのです。ファミコン時代のゲームには、これがすごく明確に存在していて、プレイヤーは必ず善の側に立っていたわけです。マリオはピーチ姫をクッパから救っていたし、リンクはゼルダ姫を助けてガノンを倒したし、トロの勇者はローラ姫を救うために竜王と対峙しました。
しかしその後、時代は流れてたくさんのゲームが現れた今、プレイヤーは勧善懲悪ばかりが物語ではないことを体験し、グレーゾーンを表現するものに面白みを感じることも増えてきています。最初、イデアが「白か黒か」をあまりにも発するので、このゲーム、まさかこのまま進むまいな?この時代に…と思っていたのですが(たまにいまだにあるから怖い)、杞憂にすぎなくてほんと、すいませんでしたっていう感じでした。
まずイデアは、追われる方に身を置き、実際にクリスタルを浄化させることで風が吹き、大地が蘇り、水が清められていくのを見て、自分の目で見て判断した白であり黒に価値がある、と思い至ります。その目から見ると、父親は限りなく黒に思えていき、彼女の価値観は完全に逆転します。(FEでいうと蒼炎のジルのような。)そして父親と対峙するようになります。というかもうちょっとお前等親子は会話しろよと思うのですが「剣でしか話し合えない」みたいなことがどうやら剣の世界ではあるらしく、負けた父は強くなったな…みたいな感じで結局あまり「何を考えてクリスタルを排斥していたか」については語ってくれません。
イデアたち(プレイヤーも)は、普通であれば「クリスタルを解放すれば世界が救われる」と思っているわけで、クリスタルの解放を止める世界の仕組みを叩き壊し、とうとうそれが成る瞬間がやってきます。
自分たちが見聞きして信じることが出来ると信じたものが結果を起こす時、この物語は意外な方向に進みます。
ここで、この物語の一番の仕掛けが作動することになります。
世界には4つのクリスタルがあり、そのクリスタルを浄化し解放する「解放の儀式」をすべてに行うと世界のどこかに光の柱が立つ。そこに入ることで世界は真に浄化されることになる…そうやすやすと信じて4人、というかプレイヤーはゲームを進めています。
しかし、実際に光の柱が立ち、そこに入って起こったことは、真の浄化や平和ではなく、ただ、寝込んでいたティズが目を覚ます冒頭のシーンに戻ったということ。大穴は開いたままだし、クリスタルは浄化されていないし、世界中にもめ事の火種が転がっている。ただ記憶は今までのことを覚えている…
世界中を回ってみると、最初に聞いた話や思っていたことと若干の差や補完が生まれていき、例えばイデアは、黒だと判断した父親が実はクリスタル正教(アニエスが巫女として育てられた教会)のエリートでその腐敗した内部の構造に嫌気がさし、改革を成そうとしたことを知ったり、ただのイヤな奴らに見えた敵が、味方思いのいい奴だったりします。
こう、と断定していたものが、角度を変えて見てみると全く違ったように見えて来る。このゲームが、いわゆるFFシリーズに似て、少し違うのだというのを分からせてくれるかのようです。
冒頭から、エアリーというキャラクターが出てきます。
エアリーは、クリスタルの巫女であるアニエスの側にいるクリスタルの妖精で、言わばクリスタルの解放や次に進むルートを指し示してくれる存在です。
3DSは2画面ありますが、その上の方で冒険+3D表示をし、下の方でタッチ操作をしますが、メニューを開くといつも下画面にエアリーはいて、次は水のクリスタルを解放しましょう!とか、なんだか面倒くさいことになっちゃったわね~などと、動き含め冒険を和ませてくれます。
ゼルダの時オカのナビィであるとか、ドラクエ9のガングロ妖精サンディであるとか、ああいう感じの「ナビシステムの擬人化」に見えます。
たぶん、こういうゲームを多くやっている人ほどそう見えると思います。そういう目線でエアリーを見ると、そこには人格はなくなり、ゲームのシステムの一つとしてしか認識しないようになります。見ているようで見飛ばしているのです。
クリスタルを浄化し、世界に光の柱が立ち、そこに飛び込む。また元の、ちょっとだけ違う世界にいる。またクリスタルを浄化し、世界に光の柱が立ち、そこに飛び込む。また元の世界に…これを繰り返させられているうちに、いかに鈍いプレイヤー(っていうか私)だって気がつくわけです。あれ?これはいつまで続くんだ?どこかで間違えたのかな?と。
そして、ようやくただゲームのシステムに乗り続けるんじゃなく、自分で考えるようになるのです。この世界はなんだろう?というか光の柱ってあれはなんなんだ?どうして飛び込むんだろう?というかそもそもクリスタルの解放ってなんなんだ?イデアのお父さんがしようとしていた「クリスタル排斥運動」ってなんだったんだろう…?元を正せば、クリスタルを解放するんだと教えてくれたのは、誰だっけ…?
面白いなと思うのは、早い段階で気付けば気付くだけ早く終わるということです。
往年のRPGプレイヤーほど従順にゲームの仕組みを守るでしょうし、疑わないでしょう。そういうことを見越して、作り手側がプレイヤーに「挑戦」しているように思うのです。
何度もループするのがダルいみたいな言われ方もあるみたいですが、早い段階で気付けるかどうか、「この仕様でなければ出来なかったもの」というのがあると思うのです。何度も繰り返すことで軽薄に見えたリングアベルは記憶を取り戻し、イデアは白とか黒とかということはどうでもいい事で、いかに自分が子供であったかを悟っていきます。
ちなみに、途中で気付けばラスボスはそこまで強くはないのですが、真終章と言われるエンディングがあってそちらの本当のラスボスは大変強いです。
このネタバレをまずもってアップしていいのかぐらい大変マズそうなネタバレを書きますが、真のラスボスの狙いは、素晴らしい世界だと聞く神界に行くことだと言います。こんな悪玉をのさばらせてはいけないと、我らが主人公たち4人組も必死に抵抗しますが、どんどん神界が近づいてきた…そら、見てみろ!と示された先に!!!
3DSってあのー、上画面の中央上部に、カメラがついてるじゃないですか。あそこがこっちを撮ってて、戦闘シーンの奥に自分がいるんですよ!!電車でやってたんで超ビビりました!!
私の伝え方が凄いヘタかもしれないんですが、こういうのって本当に挑戦されてるなっていう風に思うんですよ。そのカメラの流れが凄い素敵に背景に組み込まれてるわけでもないですし、ダサい感じも多少ありますけど、私たちはゲームのプレイヤーであり、頭を使うことをある意味放棄してその世界に浸っていればいい、とこれまでは思っていたし、そういうふうに提供されてきたと思うんです。でも、BDでは、何度も何度も「自分で考えろ!」って言われ続けるんです。自分のこととは寸断された世界のことだと思って油断してないで、この物語が描いたことを自分のこととして受け入れろって迫って来るみたいな。
ラスボスが、4人の主人公たちにそれぞれグサッとくる事を言うんですけど、イデアには「感情で動くやつが一番操りやすい」とか言うんです。ティズには「お前はいっつもアニエス、アニエスばっかだな!」とか。私たちは、とかく人に煽動されやすくて流されやすいじゃないですか、昨今。もっと自分を持たないといけないと、可愛らしいキャラクターのRPGで若い世代に伝えようとしてるところが、すごく熱いなと思ったし好感持ちました。
FFからの脱却を計ろうとして、シナリオをすごく練っているところも。
あ、そういえば壮大にネタバレしますが、FLYING FAIRYというサブタイトルでBDFFでやっぱFFなのか?と言われてましたが、真の敵がわかってからは、サブタイトルの頭のFとFが取れることになります…うまい仕掛けだな~!(画集によると、エアリーの羽は蝶に見えて実はちがう、と書いてあってよく見てみたら驚きました)
というわけで、久々に「ストーリーに唸った」ということで、ブレイブリーデフォルトのことを思いっきり描きました!しかし!吉田画伯がスクエニを辞められたという悲しい事実!いや?悲しいかな?嬉しいかもしれない。とうとう画集が出るかもしれない!!夢ある~(一企業の社員なので画集など出さないと公言されていたので)
次作は「ブレイブリーセカンド」ともうタイトルも決まっているそうですし、更なる唸るストーリーに期待しています!!
長々おつきあいありがとうございました~!