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うん・・たしかに せいいきを おかすことは つらい・・・
2025 . 04
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    HP:兎角 -TOKAKU-
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    ファイアーエムブレムの絵を描いたりサイトをやったりしています。
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    FEの世界観を愛しています。
    映画と本が好きです。
    千葉県民
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    ドラマが終わる時期にくると、このドラマよかったな〜あれもよかったな〜という話を書きたくなるんですが、今期はいろいろ結構見てたみたいで、2つくらい終わったテレビの話を書こうと思います。
    いいとも論は書きませんw

    とりあえずは、キルラキルが終了しました〜〜〜〜どんどんどん!
    いやー、愉快なアニメでした。最近あんまりアニメも見ないんですが、最初の頃にこれはすごいとツイッターがざわめいてくれたおかげで全部見る事ができました。はー。
    キルラキルと某映画を比較して、「物語に必要なものは実はあっちじゃなくてこっち」という話を書きます。底意地の悪さを大爆発させます! 

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    針目縫め!!!←にくたらしい悪役は大事である!!

    キルラキル、仮面ライダーフォーゼ、図書館戦争のネタバレをしております。
    ご注意ください!
    それでは、続きは折りたたんで。

     
    拍手ありがとうございます!
    印刷仕上ってきました、近々ご報告できると思います!通販も4月中に始めたいですー!

    拍手[7回]


     
     
    山のようにそびえる本能寺学園。その頂点にぐうっとクローズアップしていくカメラ。
    逆光を背負い気高く立つ生徒会長、鬼龍院皐月。たなびく黒髪。
    「人は服を着た豚だ!」
    その声に我々は畏怖とともにひれ伏す…

    というような導入を、キルラキルを見ておられた方なら共有していただけると思いますが、このアニメを説明するのは大変むずかしいです。
    なにせ、あらすじというあらすじが、あってないようなものだからです。
    もちろん、細かく説明すればたくさんの要素がありますが、はて、それは制作者側が描きたいものの本質でしょうか。

    あまりアニメを見ない私なのですが、キルラキルを見ようと思った大きな一因として、構成・脚本の中島かずきさんの存在があります。
    中島かずきさんは、元々劇団☆新感線の座付作家さんで、数々の名作舞台を書かれてきた方ですが、私が中島さんをがっちり認識したのは、少し前の仮面ライダーである「仮面ライダーフォーゼ」の脚本をされたことででした。

    フォーゼは、まじで最高なんです。最高なんです!!
    見てた人なら、こういう言い方にならざるを得ない熱さで好きなはずです!!
    フォーゼというのは、かなり特殊な仮面ライダーで、頭がコーンヘッズみたいでダサいのです。
    バッタ感とか虫感ゼロです。内容を見るまでクソダサいと思っていました。
     

     

     
    フォーゼはテーマが宇宙なので、ロケットとか宇宙服がモチーフになってるのはよくわかるんですが、最初にルックスを見た時、これはないだろう、今期も見ないで終わるかな、とか思っていたわけです。
    が、フタを開けてみたら、とんでもない面白さでした。
    天ノ川学園という高校に、一人の短ランリーゼントの男が転校してきます。この学園には、アメリカでいうところのスクールカーストというものが存在しています。スクールカーストというのは、所謂カースト制度のように頂点に学園のヒーロー、ヒロインが一人ずつ存在して、そのどれくらい下に自分がいるかで学園での扱いや待遇が変わるような世界のことで、プロムパーティーという2年生で一度、3年生で一度行われるドレスアップする舞踏会?で、男女のペアで出席して注目されることがカーストの地位を確立させることになるらしいです。恐ろしいですね。
    プロムパーティーの様子はよく映画やドラマで出てくると思うのですが、その枠に入らない、キモいやつとされるタイプの人は「ナード(オタク)」といわれて、学校でいないことのようにされるわけですが、このリーゼント男は「学園全員とダチになる!」と宣言し、そのカーストの破壊者として現れます。
    しかしこの学園にはさらに不穏な影が忍んでいて、ゾディアーツという怪物が出現するようになります。リーゼントの一本気な男・弦太朗と、科学者の息子でライダーベルトを持つが体が弱く変身することが出来ないいわゆるナード扱いの賢吾、アホで明るく宇宙オタクのユウキ(超可愛い)の落ちこぼれ三人が仲良くなり、三人一緒にいることで仮面ライダーとして変身できるようになり、いつしかそれは仮面ライダー部を立ち上げるに至る…!

    というのが、仮面ライダーフォーゼの出だし?です。
    この後、プロムパーティーの花形であるアメフト部部長やチアリーダー部部長、チャラ男、ゴス少女、仮面ライダーメテオ、顧問の先生などが、仮面ライダー部に加入することになるのですが、最初は敵として現れ、反目する理由をさぐるうちに実はみんな分かり合えるんだということに気付き、仲間になっていくので、これはフォーゼファンの間でよく言われていたことですが「終わってほしくない、彼らの人生をずっと見ていたい」という気持ちにさせられるのです。
    ぶっちゃけ、今でも(主人公をやってたずぶん先輩こと福士蒼太くんがこんなに売れちゃった後でも)またやってくんないかなとか思ってますからね、私なんか。
     
    さて、仮面ライダーの話を長々としてしまいましたが、実は仮面ライダーフォーゼとキルラキルは、双子のようにそっくりな物語だと思うのです。

    キルラキルは、生徒会長の鬼龍院皐月が支配する学園(アニメ表現なのでもはや架空の世界のようですらある、生活区すらをも統べる支配体制)に、ヤンキーのような風貌の女子高生・纏流子が転校してくる。彼女は父親の仇を捜していて、自分の持つ片裁ちバサミの片割れを持つ人間を探していた。鬼龍院皐月はそれを知っているかのように見えたが…というように話が始まり、そこで底抜けに明るい劣等生の満艦飾マコと知り合い、導かれるように、父が開発した特殊な生きる戦闘セーラー服である「神衣鮮血」と出会う…みたいになるわけですが。

    これすなわち、
    ・仮面ライダーになることができる弦太朗 = 神衣鮮血を唯一着こなせる纏流子
     …どちらも学園の破壊者となるべきヤンキー
    ・明るく弦太朗と賢吾のよき理解者ユウキ = アホで無鉄砲な流子の唯一の友達マコ
     …どちらも追いつめられた友達を精神的につなぎ止める役割を無意識にこなす
    ・知識はあるが敵を倒せない賢吾 = 着られることで存在意義を見出していく鮮血
     …どちらも主人公と固く結束することで一人では出来なかったことを達成する

    まあ、こんなの細かく言明するのも無粋かもしれないんですが、私はこの、主人公たちが三位一体で行動するところが、この2つの物語が本当に言いたいことの一片なんじゃないかと思っているのです。

    物語の相似性はこれだけじゃありません。
    各部活の部長と戦うところや、元々敵だった者同士が手を組んだ頃にはさらに大人の敵が立ちはだかっていること。変身できるライダーベルトや制服は結果2つになること。顧問?の先生が味方になること。変身できない人間が乗るパワードスーツのようなものが登場すること。鮮血の最後と賢吾の最後とか。
    まだまだ数え上げればたくさんあるんですが、これだけ似た物語でありながら、アニメと実写の違いはあるにせよ、全く違う印象を受けるのは、この2つが「似ている」のは「世界観」ではなくて「熱量」だということです。

    同じ学園もの、というだけなら、魁!男塾とときめきトゥナイトだって似ていることになってしまうわけで、学園ものというジャンルが確立されている以上、そこをもって似たものだとは思われないわけです。話の盛り上がりをジェットコースターに例えるとすれば、たぶんフォーゼとキルラキルはコース取りはほぼ一緒ですが、コースほぼ一緒のビッグサンダーマウンテンとスペースマウンテンくらいにはかざりつけが違うんではないでしょうか。
    違うだけではなくて、その物語にちょうどいいチューンナップていうか、例えば「二人の友情」という熱量に関わるものだけは決めておいて、物語が仮面ライダーならこういう二人、キルラキルならこういう二人、みたいに骨組みにつける肉付けはきちんとそれ対応でやっていく、使い回しにしない、というのが大事な気がします。

      
     
    「熱量」というのは、物語を見ていてその展開に「うおー!」となる、その「うおー!」が「熱量」です。例えば、朝ドラのあまちゃんなんかは結構熱量高めだった気がします。熱量の低い作品は、どれとは言いませんが邦画で、ぼそぼそ喋りながら主人公が旅するようなやつとか熱量低いですよねwwwそれはそれでいいと思うんですが、キルラキルみたいなテンションのアニメもあまり昨今無かったので(たいして見てない私が過去に覚えてるのはグレンラガンも熱量高かったすなー)すごく貴重な気がします。ジェットコースターのコース取りに例えたら、ずっっっと急降下してるとか、G掛かりまくりでぐるんぐるん回ってる状態でしたね。

    先の主人公たちの3人の関係の件ですが、あれもその熱量とジェットコースターのコース取りに重要な要素です。
    主人公が最初からスーパーマンで何でも出来てしまう物語を転がすのは、短期ならいいのかもしれませんが長期に向きません。何故なら、長期になればなるほど、主人公は成長しなければならなくなるからです。いわゆる敵のインフレというものもそうですが、主人公はある程度の壁を突破していつしか最初の頃が見る影もないほど成長したほうが、見ている側としては「あがる」わけです。あがる、は、うおー!であり、熱量です。
    であれば、最初は主人公は見ている側が心配になるくらい、アホで無鉄砲で弱いほうがいいのです。それを一人で担ってしまうと、魅力のない主人公になってしまうわけで、あがる前に見放されてしまいます。だから、役割を3人に割り振るのです。しかも、1+1+1が3にならずに10になる道も、割り振ることで用意することができます。それが友情パワーです!
    反目したり、食い違ったりした結果、より強固になっていく友情パワーで、何倍にも力を出す事が出来、強い敵を突破する力になる、ような気がするではないですか。
    これはほんとによく出来た主人公システムだなあと思うし、マコ(ユウキ)のキャラクターもほんとに上手っていうか、暴走しかけた主人公を止める役割として、天然っていうのがほんとに大事なんですよねー!狙って言葉で止めても止まらないけど、ド天然の人がワーッて無鉄砲に何かすると止まる、あがる〜〜〜!!

    結論、ジャンプなんですよ。あがるドラマは、ジャンプです。
    「友情」「努力」「勝利」なんです。
    キルラキルにはそこに70年代80年代の漫画やアニメからのエッセンスを盛り込んで、「人はなぜ服を着るか」というテーマをがっちり組んでストーリーをぶらさずやり切ったから、あがるんです。
    フォーゼにはそこに宇宙という要素(きっとおもちゃ屋さんからの無茶振りも多分にあったと思われる)を盛り込んで、「友達の大切さ、学園生活」というテーマを首尾貫徹したのが素晴らしかったと思います。
    この2つのドラマがあらすじ以上に描きたかったものは、このジャンプ的「熱量」だと思います。2クールやそれ以上に続く物語で視聴者は主人公たちと一緒に成長していく気分になり、最後には、もっとこの仲間たちとの時間を共有したい、と思うに至るのです。
    熱量という方向から物語を考えたことがなかったので、かなり目から鱗でした。
     
     
    さて、私先日、V6の岡田君が出ていたので楽しみだった「図書館戦争」の、実写版映画を見ました。
     

     
    おっとうっかり、福士くんの話題が続いておりますね。
    私は、この図書館戦争の大ファンでありました。小説の方は、番外編みたいなやつ以外全部たぶん持ってると思います。
     

     
    この本の面白さは、ラノベ的な軽妙さと、有川さんらしい自衛隊的描写、本が好きな人なら許せない(あがる!)仕様、そしてベッタベタのラブコメディの部分です。
    アニメはあんまり見てなかったですが、今アマゾンで見てたら、アニメもコミック化もすごいんですね。ベッタベタラブコメの部分(ケンカップルというやつですか)が受けているのはよくわかります。
     
    さて、私はかなり読んでいたにも関わらず、実写化映画を見ていてなんだか納得できないというか、擁護出来ない状態になっていくのを感じました。
    榮倉ちゃんの演技に関してはまあ、置いておくとしましょう。瑣末ですそんなことは。
    あがる要素はたくさんちりばめられています。
    30年前、図書館が焼かれるテロ事件があり、その教訓を受けて武装した図書館。あがる要素です。
    高校生の時、大好きな本の続編がメディア良化委員会により奪われそうになった主人公の前に、颯爽と立ちはだかり本を守ってくれた図書隊員の王子様。あがる〜あこがれる〜〜
    30年前のテロ事件の顛末を記した文書を所蔵した図書館の持ち主が死去し、その全てを良化委員に奪われる前に奪取せよ!あがるー!
    実は主人公が憧れる王子様は、主人公が一番苦手と思っているチビの教官で、教官の前で王子様とあんたは違う!とか怒鳴っちゃう不器用な主人公〜〜!
    要素ひとつひとつはあがる仕掛けがきちんとされているのですが、ジェットコースターで例えると、そのコース取りはトリッキーでうまく作られているけど、安全バーがすごいグラッグラしてて安定しない!住宅地に作られていて世界観にのめり込めない!といった感じなのです。

    これは何に起因しているかというと、この物語が、武力で制圧しようとするものと、日本の自衛隊の特殊さ(自分から攻めていかない防衛一方であるという部分)を、本という個人の権利と自由の元に存在するものの攻防戦というものに置き換えて描いたもので、実際の図書館に掲げられた『図書館の自由に関する宣言』から発想した物語であり、実に核はこれだからです。
    ちなみに『図書館の自由に関する宣言』は、こちらです。
     
    こうしてみると、安全バーぐらぐらどころかちゃんとしていそうに思うじゃないですか。
    私も本を読んでいるときはさっぱり感じなかったのですが、実写映画になったとたんに凄い違和感を感じたのです。
    すごくざっくりした話にすると、図書館戦争の話というのは、本が表現するものを剥奪したい側と、図書館の自由に関する宣言によって個人の知る権利を守りたい側が、ドンパチする話なわけです。日本で、武力でドンパチするには相当の理由と権力がいります。が、これは原作にもはっきりした背後があるわけでもなく、ただ割と勝手にドンパチやってるわけです。
    法律が制定されてしまい、本を読む権利(ネットがまだそこまで強い時代じゃなかったことをおおいに汲んだとしても本だけ)が迫害されるようになり、本はちょいちょい発禁になり、30年経ってしまい、元々どういうケンカが発端だったのかもう攻防戦を今している当事者たちにも忘れちゃって警察や自衛隊も触れることがなくなっちゃった、みたいなことらしいんですが、そんなことで紛争ってしてもいいんでしょうか?
    原作を読んでいる時はそこまで思わなかったのに、映画でぐっとこの、根本原因の不安定さみたいなものに気付いてしまったのは、ちょっと未来の話なのに、明日の図書館かっていうくらい今と地続きの風景の中、こういっちゃなんですけど、本ごときのことで人間が撃たれて血を流したりヘタすると死んだりするようなことのUFOよりも強い非現実感が実に居心地悪いということです。今、町中で見かけるような本屋さんが良化隊に攻め込まれて、子供から絵本を取り上げてる図なんて見ると、なぜ出版社は法律が出来て30年も経つのに、まだ店舗に本を卸すのか…良化委員会も攻めるなら本屋や図書館じゃなくて出版社攻めろよとか…30年も経ってていちいち取り締まられてたら本屋なんか壊滅してて地下で本が流通してるだろとか(映画の中で一瞬本が高騰してるとか映像があった気がしますが、それにしては攻め込まれてる本屋は普通の本屋さん)、そういう事がすごくすごく気になっちゃうわけです。
     

     
    ↑めっちゃ普通の本屋さん。
    基本的人権の知る権利は守りつつ、本を回収して読む権利は奪うのか…?
     
    本当にもっと骨組みをしっかりさせるとしたら、武力行使で国民同士が争うのであれば、国家が関わってないと無理だと思うんですよね。国会と司法が喧嘩してるとか…それにしたって無理かもしれないけど。
     
    ここで、先ほどの、キルラキルと仮面ライダーフォーゼの話を思い出してほしいのです。
    実は、キルラキルもフォーゼも、ものすごいリアリティラインが低い(現実感がない)ので、バカみたいな学園とか、国家権力の不介入とか、ツッコミとして入れたくなるにしろ、それが物語の面白みを削がないのです。
    が、リアリティラインを上げて精度を中途半端に高めてしまうと、前後左右の細かい設定まで気になってしまい、それが一つでも外れていると、物語に埋没して楽しむのを妨げてしまうものなんだと思うのです。
    しかも、キルラキルとフォーゼは、案外設定と最終目的がしっかり組まれています。それがリアリティがあることである必要はなくて、「この世界は実は服が人間を支配していました」「月面とつながった扉が学園にありました」なんて、それだけ聞いたら何をわけのわからないことをという設定でいいんです。そこは言い切って、その設定を絶対にブラさないことが大事なのではないでしょうか。
     
    結局、見終わって居心地の悪さを感じる物語というのは、物語のコース取りのおいしいところだけやろうとして、このジェットコースターはどこに到達するのか、どういう設定のジェットコースターなのかを忘れてはみ出したり脱落したりしているような気がします。
    キルラキルのぶっとんだ設定の妙に、それを再確認させられた気がいたしました。
    自分でも何か描く時はがんばろうと思います!
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